村田先生

いつも貴重な情報有難うございます。
核事故に関してはいつも隠蔽され状況が変わらないことに本当に悲しみを覚えます。
これが同じ人間のすることなのだろうかと。

このたびの futagawa様のご提案もうなずけます。

私は品川で2日から4日まで、行われていた広河隆一氏のチェルノブイリ事故写真展と「チェルノブイリ事故から28年」というヴィデオ映写会、及び福島からの避難者のトーク会に参加しました。

3人の避難者は、いわき、双葉町、郡山出身の方々でした。いわき、双葉町から避難しているお二人は話すことが一杯あってまだまだ話し足りないとの印象でした。中でもいわきからの避難者の
「くさの」さんの話は涙を誘いました。

ご主人はいわきで屋上緑化の研究開発をしていてオクラ、空芯菜、モロヘイヤ、ブロッコリ—などを屋上で栽培して2011年の4月に初めて出荷することに なっていたのが3月の震災で断念せざるを得なくなりました。震災直後それらの野菜の線量を測ったら8,000ベクレルあったそうです。(2011の事故直 後に埼玉に避難し転々として今は東京だそうです。)

二人の子供さんも鼻血などの症状があり避難してからいじめにあったそうです。(福島からの避難者という理由で)
クラスメートから胸を思い切り靴で蹴られ赤くなり靴跡がついたそうです。

雨で長靴登校すると其の長靴をトイレの便器に投げ入れられたり、机を蹴られて机の上のお弁当箱が床に散乱しそれを拾い集めてお弁当箱に入れなおして持ち帰る等々。

そういう数々のいじめがあってから自分は福島現状を話すのを止めようかとも思ったが以後いじめ等を避けるため 「くさの」 と云う仮名を使って福島の現状を知ってもらうため活動しているとのことです。

その息子さんが6年生の時(2年前)のヴィデオも映写されました。6年生の息子さんが原発事故、被害に遭って、お父さんの仕事への希望も奪われ親子離れ離 れに暮らさなければならなくなったという重い事実を訴える姿に本当に心が痛みました。又 くさのさんの 母親としての悲しみ、お父さんの苦しみはどんな だったかと思いますと、核惨事の恐ろしさを思います。

又郡山から避難している方も仮名でしたが、娘さんが放射能被害から鼻血が出て止まらないので死まで覚悟したそうです。
病気と言う自覚が無い時に死を覚悟するほどの鼻血だったとの話には本当に胸が痛みました。

福島での放射能診断の縮小の話、及び原発事故避難者への支援は来年3月で打ち切られるのでその後は帰還か移住を迫られているそうです。 各種署名、カンパ 等させて頂きましたが被災した人たちが一向に改善されない事実にはとても心が塞がります。この現状をどう打開したら良いか皆様苦慮しています。

合掌



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