ユネスコクラブ世界連盟国際会議(ニューヨークにて開催)におけるスピーチ

(邦訳)

新しい文明を築く時を迎えて

2014年3月10日
村田光平

はじめに

 世界が直面する危機を前にして、古代ギリシャのプラトンが「王さまは哲学者になるべきである。さもなければ人類の不幸は無くならない」と述べていること が想起されます。今日、哲学の欠如により世界は理想を失い、民主主義の究極の目標たるべき「最大多数の最大幸福」は忘れられております。現在の物質主義は 貪欲の上に築かれ、人類と地球の将来を脅かすに至っています。益々頻度と破壊度を増す自然災害及び原発がもたらした地球規模の安全保障問題化はまさにその 明白な傍証です。マハトマ・ガンジーは「地球は各人の生存のために必要とするものは満たし得るが各人の貪欲は満たし得ない」と述べておりますが、これはグ ローバリゼーションが逢着する諸問題の背景を説明するものです。


GDP経済学

 いわゆるGDP経済学は、数量化出来ない或いは貨幣に換算できない全ての重要な価値を無視します。例えば文化、伝統、家族、社会正義など枚挙にいとまが ありません。そしてGDP経済学は天然資源を、保存を必要とする「資本」ではなく「所得」と見做すという大きな過ちを犯しており、そのため経済成長は深刻 に環境を破壊しております。


文明の危機

 浸透した経済至上主義は現世代の倫理の喪失をもたらし、その結果、現世代は利己主義によって未来の世代を犠牲にし、天然資源を濫用して繁栄を築いていま す。この倫理の欠如は全世界を覆っており、責任感及び正義感の欠如と相俟って人類と地球の将来を憂慮させるに至っております。この倫理観、責任感及び正義 感の「三カン欠如」は日本病、そして世界病を生んでいるのです。
人類が直面する危機の真因は、世界中にあまねく広がった倫理の欠如です。未来の世代に属する天然資源を乱用して枯渇させ、永久に有害な廃棄物と膨大な負債 を後世に残すことは、倫理の根本に反します。自然と世界の資源はもたらす結果についてはお構いなしに開発されているのです。

 現在人類が直面する危機は文明の危機です。現在の文明は、「父性文化もしくは支配に立脚する力の文明」といえるものですが、これを命に至上の価値を与える「母性文化もしくは協力に立脚した和の文明」に転換する必要があります。


新しい文明

 地球倫理の確立なくしては、未来の世代に美しい地球を残せるような人類の将来の文明は築けません。このような認識から、倫理と連帯に立脚し、環境と未来 の世代の利益を尊重する新しい文明の創設に取り組むべき時がきたと考えます。この新しい文明は現在の物質中心のものから精神中心のものに移行しなければな りません。フランスの作家で政治家でもあったアンドレ・マルローは「21世紀は文化的、精神的な世紀となろう。さもなければ、存在しなくなるであろう」と 述べております。

 ここで「少欲知足」の重要性が想起されます。この概念は東洋の釈迦牟尼及び老子により初めて説かれたものでありますが、西洋でもこの考えは古代ギリシャ のストア派、イタリアのミケランジェロ及び「Small is Beautiful.」の著者、E.F.シューマッハーも主張しており、普遍性を有します。

「少欲知足」は、欲望を減らすことにより幸福を極大化することを可能にするもので、現在見られる消費の極大化の追求と対照的と言えます。

 これは幸福=富/欲望(富割る欲望)であるとする釈迦牟尼の教えと軌を一にするものです。この数式では欲望は分母であり、富は分子です。

 では、物質主義から精神主義へ、「貪欲」から「少欲、知足」へ、そして利己主義から連帯へと三つの方向転換を必要とする新しい文明の創設に我々はどのように取り組むべきなのでしょうか?

 三つの重要な課題に我々は直面しております。すなわち「地球倫理の確立」、「真の指導者の養成」及び「経済至上主義に対する文化の逆襲」です。


地球倫理

 地球倫理の確立に関しては、人間を超えた存在或いは天の摂理を信ずる心が、宗教を持つ者と宗教を持たない者の共通の基盤になり得ます。主要宗教の共通の倫理規範と市民社会の良心を統合することにより地球倫理の確立の有効な基礎を築くことが可能となりましょう。

 天地の摂理は 天の摂理(providence)に代わる私の造語です。哲学により究明される歴史の法則を意味します。多くの例示が可能です。「盛者必衰の理」、「絶対 的権力は絶対に腐敗する」、「いつまでもすべての人をだますことは不可能である」、「善き思い天が助ける」などです。天地の摂理は多くの文明の興亡に立ち 会い、時の試練に耐えております。


グローバル・ブレイン

 新しい文明を先導する「グローバル・ブレイン」となりうる真の指導者の養成については、思いやりと感性の重要性が強調されなければなりません。有名な チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」(1940年)の中の次の言葉は誠に印象的です。「我々は考え過ぎて感じることが余りにも少ない。我々が必要と するのは機械よりも人間愛であり、利口さよりも優しさと思いやりである。」

 真の指導者は人類と地球の将来に責任を持たなければなりません。知性のみならず感性を備えたこのような指導者を社会の全ての分野で育てることが肝要で す。「グローバル・ブレイン」はこのような指導者を意味する私の造語です。市民社会の役割は益々重要となります。全ての分野にヴィジョンと理想を備えた指 導者を養成することは緊急の課題です。このようなグローバル・ブレインは人類と地球の将来に思いを致すことができるのです。


文化交流

 最後に経済至上主義に対する文化の逆襲を取り上げたいと思います。この経済至上主義の概念は仕事場での「リストラ」の例にも見られるように「人間の排除」をもたらしております。効率の追求の行き過ぎは人間の尊厳を損ない無視するものであります。

 多様な文化と文明、そしてさまざまな宗教の共存は世界にとって大きな挑戦的課題となっております。文化交流は表面化する紛争の解決の鍵になり得えます。 人間の幸福は文化無しには考えられません。文化は基本的な倫理価値を増進させます。文化交流は連帯を築くことに貢献できます。人間を排除する傾向が支配的 な状況の下で、人間性を回復するための文化の逆襲が痛切に必要とされております。


父性文化と母性文化

 この過程において考慮すべき重要な点があります。それは父性文化と母性文化の間に存在する顕著な相違です。父性文化は「競争、対立、力」に価値を置くのに対し、母性文化は「和、協力、弱者に対する思いやり」を重視するのです。
 今日の世界においては、富めるものと貧しいものとの格差が益々拡大しつつあり、父性文化が支配的のようです。二つの文化の間に均衡と融合を図る必要性が 益々認識されるに至っております。イスラム社会に於いても女性の地位向上の動きがみられます。父性文化は破局を招くことを歴史は示しております。
母性文化そのものでなくとも母性的思考は世界平和の維持に不可欠です。

 2008年8月20日、北京オリンピックの開幕式に於いて、2008名が繰り出す情景の一つに「和」の文字が描かれたことに深い感銘を覚えました。「母 性文化」はアジアにおいて広く共有されるものであり、日本で最も守られてきたことが想起されたからです。本来日本は和と連帯を特徴とする母性文化を有して おりました。明治維新後、軍国主義という形で競争と対立を特徴とする父性文化が導入されました。歴史は父性文化が最終的には破局に通ずるものであることを 示しております。福島事故は終戦後導入された経済至上主義という別の形態の父性文化が招いたものです。父性文化は福島という破局を生んだのです。和の母性 文化は力の父性文化の治療薬です。


結語

 日本は民事、軍事を問わない完全な核廃絶の実現を訴える歴史的使命を有するに至りました。

 核エネルギーなしの長期にわたる人類と地球の安全のために、我々はライフスタイルに関して短期間の犠牲を払う覚悟が必要です。自然・再生可能エネルギーが倫理と連帯に立脚し、環境と未来の世代の利益を尊重する母性文明の基盤となり得ます。

 このような考えから、ユネスコクラブ世界連盟(WFUCA)が呼びかけている国連倫理サミットの開催と地球倫理国際日の創設に賛同いたします。同サミッ トはオバマ大統領の「核兵器のない世界」のヴィジョンへの道を切り開くものと確信いたします。潘基文国連事務総長は2013年3月2日付の私宛書簡で加盟 国が国連総会に上程するならば喜んで同サミットの開催を支持すると述べておられます。

 地球倫理、母性文明及び真の核廃絶という三位一体の目標を追求しなければなりません。困難に満ちた厳しい現実にかんがみれば楽観できません。しかしながら上述した人力を超越した天地の摂理こそ、人類と地球の将来に我々が希望を抱くことを可能にしているのです。




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