HISTORY of Prof.MURATA to 1999
スイス在勤中の講演活動など

1997年
・4月講演「人間関係と国際関係におけるアンビバレンス」(ティチアノ州アスコナ市)
・6月講演「グローバリゼーションと環境対策」(ザンクトガレン大学)
・8月講演「未来の世代を代表して」(チューリッヒ・ハーヴァードクラブ会合)
・9月講演「グローバリゼーションと環境の調和」(ジュネーブ州エネルギー省主催)
・10月講演「グローバリゼーションと環境の調和」(フリーブール大学)
・11月メニュヒン卿主催第一回「欧州文化会議」会合出席(ベルギー・ブラッセル市)

1998年
・3月講演「21世紀を迎える世界のアンビバレンス」(ヌシャテル州建築家・技術者協会主催)
・3月講演「未来の世代を代表して:新たな文明の提唱」(フランス・エクスレバン市)
・6月講演「新たな文明における文化交流」(ラショドフォンしCLUB44主催)
・7月再生可能エネルギー促進国民運動「SUN21」大会出席(バーセル市)
・9月スイス連邦政府エネルギー庁「エネルギー2000」会議報告会出席(ベルン市)
・9月第二回「欧州文化会議」会合出席(ポルトガル・リスボン市)
・9月講演「わが志」(ベルン有識者・財界人団体「クランド・ソシエテ・ベルン」主催)
・10月ジャック・マリタン国際研究所主催国際シンポジウム「グローバリゼーション:連帯化排除か」出席(イタリア・ミラノ市)
・11月講演「世界の中のスイス」(ヌシャテル大学)

1999年
・6月講演「文化と建築」(ベルン州ランゲンタール市)
・8月再生可能エネルギー促進国民運動「SUN21」大会出席(バーゼル市)

初の「1枚書簡」
 着任御挨拶

   1996年7月1日  特命全権大使 村田光平 

 チューリッヒ日本商工会の皆様に着任の御挨拶を申し上げる機会を得ましたことは大変光栄に存じます。
 世界を見渡しまして、スイスのように勤務環境に恵まれている国は希有となりました。二十一世紀を間近に控え、世界には環境、エネルギー、人口、難民等の問題が山積し、未来の展望には厳しいものがあります。特に未来の世代の利益が十分養護されていないことが憂慮されます。私はスイス在勤中、二国間関係の一層の親密化を図るために尽力することはもとより、世界の直面する問題の解決にも日本とスイスの両国の英知を結集して貢献することが出来るよう協力関係を拡充したいと願っております。このように未来の世代のために尽力することもスイスという恵まれたポストを与えられた私の責務であると考えております。
 それでは具体的に何をするべきかが問題となりますが、ここで私の抱負の一端を申し述べ、皆様の御教示を仰ぎたいと存じます。私は4年ほど前まで3年間セネガル大使を勤めておりましたが、日本の経済協力により、太陽エネルギーを同国に導入して以来、太陽エネルギーを中心とする再生可能エネルギーの普及を世界中に進める必要性を各方面に訴えて参りました。
 また、セネガル在勤中にアフリカ諸国の奥地で幸せそうに人々が生活しているのを見て以来、人類が掲げるべき進路の目標は物質的豊かさを追い求める従来型の工業化による経済発展よりも、精神的豊かさを基調とした人間の幸福そのものの追求とする方がよりふさわしいのではないかと考えるようになりました。今回の4年間の日本滞在中、私は衆議院渉外部長を務めておりましたが、その間、各国を訪問し、痛感したことがあります。所得水準が先進工業国に及ばない地域の人口はむしろ人類の過半を占めているのでありますが、これらの地域が安全でクリーンな新たなエネルギー源の開発と環境負荷の抜本的な軽減策がないまま従来の工業化を現在の勢いで追求し続ければ、世界の環境とエネルギー問題はどうなってしまうのかと云う危機感を抱くようになったのです。 世界は新しい哲学により、文明のあり方を問い直す必要があることはもはや誰にとっても明白です。私は先進工業国が率先してスイスの生んだ偉大な思想家ルソーの「自然に帰れ」の主張に改めて耳を傾けて、文明をつくり直す運動を起こすべき時が来たのではないかとひそかに考えております。
 スイスに着任して早や三ヶ月になりますが、その間にいくつかの興味深い発見をしております。3月末バーゼル市で開催されたソーラー展でスイスでは太陽エネルギーのコストが電気料金の3倍以下になっており、スイスの技術が最高水準にあることを知りました。最近ベルン市郊外のビエンヌ市を訪れましたが、そこにはオーストラリアでのソーラー・カー・レースで優勝したソーラー・カーを製造した工科大学とルソーが一時住んでいたサン・ピエール島があり、私の二つの考えが見事に結合していることに気が付きました。また、すべての日本人に親しまれている「むすんでひらいて」の歌曲はルソーが1752年に作曲したオペラコミック「村の易者」に由来するものであることを最近知り得ました。これらの発見はいずれも私を励ましてくれるものと受けとめております。
 以上が着任に当たっての私の抱負でありますが、皆様と、色々な機会にお会いして御意見をお伺い出来ることを楽しみにしております。どうかよろしく御指導の程お願い申し上げます。

村田氏は、ここに示したようなA4紙1枚に収まる書簡を数多く記し、日本・世界の政府関係者・官僚・企業トップなどに送り続けている。それは氏の見解に沿わない、例えば電力会社トップや日本政府にも送られている。
反応はさまざまだが、こうした活動が
「世界の非核化・GDP経済からの脱却」という氏の理念実現にとって、大きな力の一つとなっていることは間違いなさそうだ。
1997年頭所感(新年の御挨拶)

98年初頭の1枚書簡


新年の御挨拶

           1998年元旦 在スイス大使 村田光平

 新年明けましておめでとうございます。
 私のスイス在勤は早や一年十ヶ月近くになりました。その間、大学での講演などを通ずるスイス国民との接触を通じ、その感化をも受けながら、未来の世代のためにも尽力することが私の責務であると考えるに至っております。
 さて、日本は最近気候温暖化に関する京都会議で大役を無事果たし、また、自然との共生と環境との調和をテーマとする2005年の愛知万博を国家プロジェクトとして推進しております。これは、余りにも無視されてきた未来の世代に対する思いやりを、日本が漸く深める方向に向かい始めているものと私は受けとめております。このような新しい動きが出てきたのも、未来の世代に属する天然資源を無制限に消費することにより繁栄を築き上げ、半永久的な危険廃棄物、膨大な債務等の負の遺産を未来に残すことが、如何に倫理の根本に反することかにつき、日本国民の多数が気付き始めているからこそと思われます。このような繁栄が永続することが許される筈はないこと、そして、物質的豊かさよりも精神的豊かさを重視し、天然資源の節約と人間の重用を図る方向で文明の見直しを行うことが不可避であることにつき、漸く国民の間に理解が深まりつつあるように思われます。現在、アジアを中心に見られる深刻な経済情勢の悪化は、世界が既にこのような文明の見直しを迫られる苦しい調整期に突入しつつあることの証左だと指摘する向きすらも見られるようになっています。
 昨年十一月、私は社会奉仕に熱心な世界的音楽家、メニューヒン卿に招かれ、ベルギーのブラッセルで開催された「欧州文化議会」設立のための第一回会合に出席し、大いに啓発されました。この会議はグローバリゼーションが地域文化の存在を脅かしつつあるとの認識の下に開かれるに至ったものですが、席上メニューヒン卿が倫理を忘れた現代の混迷に対処するには「人権」と並び、「人間の義務」の重要性を忘れてはならないことを強調したことが強く印象に残りました。そして世界の混乱は人間の傲慢に起因するところが大であること、また、その最良の治療薬は人間よりも崇高な存在を信ずることであり、各国は年少期における道徳教育を一層重視すべきであることにつき、出席者の多くの間に意見の一致が見られました。
 この点に関して、「天」或いは「自然の摂理」と云った人間を超越する存在を信ずる日本人は、信心深くとも宗教に対しては寛容であり、また、如何なる試練に直面しても「善き思い」は天に助けられるものと素直に信じられる面を有していると思います。私は、このよう精神的基盤は、宗教離れが進む世界の中で大切に守って行かなければならないものであると改めて認識した次第です。
 世界は厳しい試練を迎えつつありますが、こうした状況の下でこそ世界は新しいヴィジョンを必要としており、日本としても国際社会に対して何らかの普遍的、哲学的メッセージを発信することが求められていると思われます。工業化を極めた日本が発信するメッセージとしては、経済利潤の追求を優先することよりも、「足るを知る」哲学を支えとして、各個人が幸福になれる社会を実現する新たな精神文明を創るよう訴えることが適切ではないかと思われます。
 新年に当たり、敢えて所感の一端を申し述べましたが、八方塞がりの感を与える日本の現在の難局を打開するには、こうした議論を通じ、国全体が新たな努力目標を模索することが不可欠ではないかと確信する次第です。
 それでは今年の御多幸を心よりお祈り申し上げます。

      

        2001年 年頭所感

 日本は一体どうなってしまうのでしょうか。
 チェルノブイリの大事故の後もその教訓に学ぶことなく脱原発の世界の潮流に反して、二十基以上の原発を増やし、東海村の臨界事故から学ぶこともなく、原子力の推進の政策を維持し、東海再処理工場の運転の再開、「もんじゅ」の運転再開への動き、「原発立地振興法」の成立などを進める日本はどうなってしまうのでしょうか。
 その可能性がもはや否定し得ないチェルノブイリ規模の原発事故が万一日本で発生するならば、旧ソ連のように強権的に90万近くの事故処理要員を動員する体制にない日本はどうなってしまうのでしょうか。その結果は世界にどう及ぶのでしょうか。
 1か月ほど前に、欧州数カ国を訪れて強い印象を得たことは、我が道を行く日本の原子力政策に対する批判が強まりつつあるということでした。
 最近逝去された市民科学者の高木仁三郎さんは、日本国民への最後のメッセージの中で、既に看取されるに到った原子力時代の末期症状の下で「巨大な事故や不正が原子力の世界を遅う危険」と「放射性廃棄物が垂れ流しになっていく」ことへの危惧の念を表明されております。これまで起こってはならない筈の数多くの原発事故が発生し、「隠蔽のみならず改ざんにより責任を回避してきた原子力産業」の実態を十分承知しながら原子力推進を続ける日本の関係者全員に対し、高木仁三郎さんが「破局的な事故を待って思い知るのか」と叫ばれている姿が、彷彿と目に浮かびます。日本のため、そして世界のために皆様と一緒に真剣に対策を考えていきたいと切に願っておりますので、どうか宜しくご協力をお願い申し上げる次第です。    

                           村田光平

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