フリーライター・エディター 
きたうら雅子(まさこ) 和歌山県和歌山市在住 メール URL
●不動産会社OLを経て、アルバイト生活をしながらライタースクールに通う。
2001年10月からデザイナーの女性とふたりで組み、和歌山を拠点にデザイン、企画、編集を請け負う。

●アピールポイント
 エッセー、詩、川柳、俳句などとにかく言葉での表現に興味がある。コピーも書ける。
 神楽、祭り、縄文、など魂をゆさぶるものに惹かれる。スピリチュアル・ライターを目指す。

 ライターの仕事をするには地方では不利だとよく言われる。私が住んでいるのは和歌山だ。たしかに、地元で出版されているものなどほとんどない。「運良く大阪での仕事を紹介してもらえたとしても、無名の新人のギャラなど和歌山からの交通費で消えてしまう」と、現場を知っている知人が忠告してくれた。でも、もし私が都会に住んでいたとしても、人脈も実績もない私にそうそう仕事がまわってくるようなご時世ではないだろう。長引く不況の深刻さはどこも同じだ。
 私は自分のライターとしての方向性を考えると、地方在住ということは必ずしも不利ではないと思っている。ここ和歌山には熊野、高野山がある。四国や奈良との歴史的なつながりの深さも興味深い。幽玄な山中には手つかずの自然もまだ残っている。私が書きたいのは人間が太刀打ちできない自然であり、そして自然と人間が融合して生み出してきた精神文化だ。これから人間に必要なのは自然と呼応する『何か』を刺激することではないだろうか。遺伝子の中に綿々と受け継がれてきているはずの『何か』を思い出す必要があると思う。もちろん書きたいものと書かせてもらえるものは違うだろう。だが、どんなテーマであれ、文章の中に書き手の想いや意識、気は、言葉を越えて入る。読み手が感性で察知できる類のものがある。と、信じている。
 仕事をすることは経済活動だ。生きていくためにお金はいる。しかし、どんな仕事にも社会的な役割があるはずだ。今や人類は坂道を転げ落ちるように破滅に向かっている。経済至上主義で突っ走ってきてこの危機的状況を迎えてしまった。それを都会に暮らす者より、地方で自然の近くにいる私たちのほうが先に体感し、反省できるのは当たり前だ。それなら今度は逆に地方から発信すべき時代ではないだろうか。
 現に私のまわりでも和歌山に惹かれて移り住んできているアーティストも多い。著名人や学者などもひそかに和歌山のパワースポットや神社などを訪れている。熊野を撮りたいと知人のカメラマンもこちらで廃屋を探している。東京から移り住んでくるつもりのようだ。私も含めてスピリチュアル・ミーハーにとって、熊野はひとつのブランドだ。私はそれほどの魅力ある土地に住んでいるのだから、この土地の気を伝えられるものを書きたい。伝説、土着の信仰、人間に感心を持ち、そして感性を高めていきたい。自然への畏敬の念の中にこそ、今、人類が抱えているさまざまな問題の答えがあると私は思っている。
 和歌山に暮らすことをマイナスと捉えずに、そこにこそ意味があると考えてライター業にいそしみたい。

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